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つらつら、ぬらぬら、

おきてがみ

これはストレスが溜まった時、もしくは時間が空いたときに勝手に愚痴を残し、それを勝手に覗いてもらおうってコンセプトのブログです。


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感情を捨てる

今までの人生において感情というものは比較的なんの役にもたっていない気がする(´-ω-`)

感情は感情を生み・・・なんて連鎖を描いて永遠に続いていくものだけど、あるところで急にぱったりとなくなったりして非常に不安定すぎてなんの頼りにもならないってのが正直なところ。

感情のない生活では経験を豊富に得ることができる。
ただ、そこには思い出はないが、ちゃんと主観から得られた経験を客観的な事象として自分に身につけることができる(*´∀`*)

経験に感情が混ざるといろいろと世界が困惑されるとは思わないだろうか。
たとえば、本当は自分は数学が好きだったのに、教師に嫌な感情を抱いていたから勉強をしなくなったとか、その逆であったりとか。
本質的な部分を差し置いて生み出される自分の得意不得意には基本的にはなんの意味もないと思う。

感情に支配された人間のなれ果ては、最も人間らしく思われるが、実際は非常に動物的であったりする。
人間らしさを理性を持つことだというのであれば、そもそも感情というものは最も人間らしくない部分なのかもしれない(´-ω-`)

そんな現状であるにも関わらず、無感情な人間には嫌悪感という謎の感情を抱いたりするから不思議なものだ。
無感情な人間以上安全な人間はこの世にいないというのに。
犯罪が感情から起こされることは周知の事実で、
無感情が経験として犯罪を起こす可能性が或ことも周知の事実であるのは確かであるウー c(`Д´c)

しかし、数で比べればきっと感情から起こされる不都合の方が大いに違いない。

たまーに出てくるプラスの感情何かを期待するのであれば、間違いなく感情そのものを捨ててしまったほうが効率的に人生を生きることが可能であろう。

ただし、そこに生きた実感というものがあるかどうかは謎であるが(´-ω-`)
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ぽんてゅ
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1985/09/27
趣味:
妄想・空想
自己紹介:
アニメは日本の誇る文化であることはいまさら言う必要すら感じない。
現実に起こりそうだけど、おこることがない。。そんなシチュエーションを形にしているアニメはいいですね。

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